ライフピクチャーブログ

ライフピクチャーブログ|ライフピクチャー株式会社

属人的行動を活性化させるペルソナイメージのインプット

見るものに勇気を与える芸人の一人舞台

 仕事の合間に、芸人さんの単独ライブに行ってきた。「ライブ」と言っても音楽のフェスとは異なり、大規模なものではない。何千人、何百人ではなく約百人程度の”ハコ”である。元々自分自身が教壇に立っていたことや一人舞台の経験もあり、規模の大小問わず演者側の心境を学ぶのは、幼少期から好きだった。現在がサッカーを中心としたスポーツメディアの運営やスポーツメディアのマーケティング、スポーツデータの開発といったジャンルに傾倒こそしているものの、だからといって単一化された興味領域のみにいるわけではない。
 サッカーなら、ユース含めた国内選手の名鑑的ヒストリーやプレースタイルの認知度、追いかけ続ける海外サッカーチームの数のインプット量は国内に並ぶひ人はいないと思っているし、野球選手、バスケ、ダーツ、F1、ロードレース、陸上長距離なんかもそうだ。同様に、アイドル、芸人、音楽といった領域も尋常じゃない深さの好きがある。要は属人的なエンターテイメントを施すエンターテイナーの根底を突き動かした人生観に興味を持っている。机上で学ぶ、誰かの後ろで学ぶのではなく、学びの領域を自ら設定して、周辺余白を読み解いていくことにこそ、オートメーション化されない自らの唯一無二な力を活かすことができる側面と認識している。
 小規模な舞台は、大規模な仕様とは異なるものがある。幕が上がるその瞬間の拍手が実はまばらだったりする。本意気で来場している大ファンもいれば、関係者、誰かに連れてこられた人と分かれており、舞台観劇の多寡がまるで異なる。それゆえに、散り散りだった拍手の間合いが終焉に近づくに連れて結託していく様は感動に値する。ただ眼前のショーに対する一喜だけでなく、エンターテイナーに対するフィット感が徐々にあってくる部分も見ものなのだ。
 開始前の余韻をパンフレットを読みつつも浸っているとほどなくして幕が上がった。見知った一人の有名芸人が登場すると、歓声がわいた。

見るものに勇気を与える芸人の一人舞台

 「教室」を標榜して授業風な展開から様々な手法で繰り出す笑いは、ネタ間の間を開けないことで熱狂を生み出し続けた。ギターを掻き鳴らし、共感を呼び込む手法や共感の呼び込み方も言語や耳障り以外にモノマネすらモチーフにした上で繰り出された方法論にワクワクさせられた。パワーポイントで世の中の視点を統一させる方法論をあの手この手で繰り出した。
 いくつかのハプニングこそあったが終始爆笑に包まれた会場は笑顔が溢れていた。終了後に出口で演者がお客様に挨拶しながら見送る姿もあったが、やりきった感にも包まれた表情に加えて、お客さん一人ひとりが温かい言葉をかけていた様に感動した。
 社長業をやっているとビジネスが難しくなる瞬間もある。ただ本質は簡単で、自らの感性にあった商品や製品・サービスがあれば、人は造り手に感謝しながらお金を出す。そのお金は、感謝の対価であり、次また商品を作るための物品+情熱に対して提示している。造り手は紆余曲折ありながらも制作して披露することでカタルシスを得て、聴衆は見聞・体験することでカタルシスを得る。この相互の自浄作用にこそ対価が宿るが、俗物化された既成品などではなく、制作者がいかに自らの歩んできた人生を属人化しながらも具体化させることで見られるものへと移り変わる。行動すれば、一つなにかが変わる。今日のこの内容も、行動の上のインプットとアウトプットだ。ネタの具体的内容は書いていないものの、あの場での体験は聴衆100人のものであり、それをアウトプットするのもはオリジナリティに変わっていく。これだけでも属人性は作られていくと思うのだ。

-ブログ
-