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「写真を撮らない」人に対する共感|少数派でも問題のないメンタリティー

 「Instagramのキラキラした写真が苦手だ」という人は、マイノリティーどころかマジョリティーではないかと思う。写真を撮るという行為自体には何もないのだが、これみよがしに流れてくる「助長されすぎた明るさ」は一転して根本的な暗さの裏返しのように思える。抑圧された自己の存在を自らの体験とファインダーを通して、余計に疲弊さを覗かせる。

 「躁鬱病患者の増大化」の一つや、休日の外出率低下は案外このあたりに起因しているんじゃないかなー、と思ってしまう。そもそも仕事でエネルギーを奪う会社や社会は消えてしまえとさえ思うし、改善したいところなものの、現状は『仕事で疲弊して溜めたストレスの発散』をどうするか、という問題。要は減少された『精神的エネルギーポイント』を瞬間的に満タンまで引き戻すような行動を行っているため、中途半端さがなく逓減・逓増のスピードは消え失せ、メンタルのアップダウンが激しくなった点に依拠してそうだ。「SNSで繋がりたい!」なんて考えもそうだ。いつしか手段と目的が混同してしまうさまはよく見られる光景だ。
 その中で「写真を撮らない」人がいる。僕もまたその一人だが、仕事や作業の都合上以外で撮ることはない。インプット・アウトプットではなく、自分の行動を披露したいと思える相手などいないし、そんな人とつながっている覚えもない。人や職業によっては、仕事の立場上「バレたらまずい」というケースもある。
 それでも、『世界観』がつながるための手段としてSNSを活用したりこのような文章を書き溜めることで共有への消費財にするのはいいんだろうなと思う。要は自分が主体性を持った行為ならば「あり」なんだろう。「写真をとる」ことに主体性があるのか、「写真を撮らない」ことに主体性があるのか、もしくはその逆か。そのアクション自体に意味や「自分」があるかどうかが大事なことなんだと思う。

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