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物語論

受け手が解釈し続ける物語と物語性に共感する日本人

 自己評価では低くても、他者が評価したり、感動する瞬間がある。それは、眼前で「自己が保持する力」を精一杯、懸命に出し切る姿を見てここに至るまでの努力の時間やかつての自らの努力経験を擦り合わせながら追体験したり、かつて自らがドロップアウトして挑むことのできなかった目標に対して向かう存在に追従するかの如く共感したことで生まれるものだ。

 甲子園、箱根駅伝、オリンピック、ワールドカップとスポーツは少しわかりやすい。高校野球経験者は多く、大多数の人が高校に通学経験があって野球部の頑張りを間接的にみてきたり、もしくは学校や職場で野球好きがいればある程度の情報量が共有される。さらには負けたら終わりの一発勝負。選手たちが必死なプレーでもがき勝利を勝ち取る姿も、敗退して涙に明け暮れる姿も、感動たる光景が一夏の間延々と続く。プロ野球はその高校野球の先にあり、当時のヒーローたちが活躍していく様子や、当時の有名選手が期待通りの活躍を見せることができずに引退・戦力外通告を受けてしまう人生・人間模様を、受け手側の社会人生活や自身の記憶と照応させながら、追体験することで共感することができる。
 駅伝やマラソンを一定の期間本格的に実行した競技者は多くない。日テレの作りが上手いと言ってしまえばそれまでだが、『天下の険』と称される箱根の山に挑む姿は期するものがある。オリンピックも箱根同様必ずしも有名競技とは限らないが、
同様に記憶の追従と、努力への共感、これまでの努力を想起した上で物語の共有がなされる。ワールドカップは選出時点から始まる。今回のロシアワールドカップでは、ベルギーに喫した最後の失点と、その最後の失点を眼前で目撃した鹿島アントラーズDF昌子源が残したコメントこそまさにだった。このコメントも共感と感動の一つに値する。(以下、コメント掲載)
  「僕のところからは全部見える。デブルイネ選手が右に出して、ムニエが中に入れた。そこで頼む、ルカク、スルーせんといてくれっていう。ずっと思っていた。走りながら。全速力で戻っているはずなのに、色んな思いが出てきて…。ルカク選手にスルーされた時に、何かこう肉離れしてでも、骨が折れてでも、何でもいいからとにかく間に合ってくれって」願いは届かず、右サイドからのクロスをルカクはスルーし、後方から走り込んだフリーのシャドリにネットを揺らされた。最後の最後、昌子が願うように滑り込んだ右足は届かなかった。 「めちゃくちゃスローモーションに見えて。何を犠牲にしてでも、頼むから届いてくれ。そう思ったことは今までなかった。あれだけ必死に走っているのに、気持ちでは頼む、ルカクがそのままシュート打ってくれって思いが浮かんでくる。ハセさん(長谷部)にも声が届かない。無抵抗。こんだけ頑張ってるのに何もできない自分。腹立った。本当に自分の目の前で決められたから」試合後は全く眠れなかったが、今も眠くないという。「明日、またベルギーと試合があるんじゃないか」と現実を受け入れることは、まだできない。 「ツイッターのリツイートとかで、あのシーンが流れてくる。見たくないのに。頭の中でずっとあのシーンが流れている。失点のシーンが。見たくないのに。しんどい。ほんまにしんどい。前の人が仕事をしてくれた。後ろのオレが守りきれなかった。先輩たちに(ベスト8の)景色をみせられなかった」

 ただ、それだけではない。M-1やキングオブコント、AKB総選挙やバンドのメジャーデビューや武道館公演、会社の起業や上場など、新たな世界に殴り込んだり、世界に見られる側に回る瞬間は、物語を共有してきたファンにとっては、自身がそのアクションを取って無いにしろ、それまでの経緯や苦難を踏まえて感動の極地に値する感動がそこにはある。

 僕はスポーツが好きだ。しかし経験があるわけではない。ダーツはプロを意識した。ただ、その他はプレー経験はあっても、素人の域を超えない。『スポーツが好き』だが、応援は好きではない。それ以上に競技場へ観戦に行っても視力が悪すぎて見えないのだ。DAZNで見ていたほうがあらゆるものがわかる。戦術や思考法も好きだが、何より選手たちがこれまで辿ってきた経歴や人生を見るのが好きなのだ。プレーの選択肢の中で「何故そのチョイスに至ったのか」も人生を追体験していくと理解できることが多くある。
 今高校3年生の世代以下であれば、小学年代から追い続けている。もちろん、すべてを追えるわけではないが各年代数百人単位で名前やプレースタイルをいうことはできる。高校生以上、プロともなれば経歴はだいたい把握できている。国内サッカーだけでなく、海外サッカーや野球、バスケ、陸上、テニスなどカバー範囲の広さは自信しかない。
 全く同様で、世の中のアイドル、芸人、アーティストもひたすら追い続けている。世の中の「頑張ってる」を可視化している業界はそうだ。頑張ると一口に言っても、世界観から飛び出していない領域は異なる。承認とはまた別個の問題だ。人間の興味・関心領域に飛び出して、そこで多数の人間に影響力を与えるような世界に飛び込んだ人にこそ面白みがある。同じ社会人として「会社員として1000万円稼ぐ」ことと「経営者やアイドルとして1000万円」稼ぐことの重みはまるで違う。そして後者にはお金のみならず、物語が伴ってくる。

 必ずしも外に飛び出すことを絶対視しているわけではない。ただ、彼らの判断や舐めた辛酸、選択し続けてきた世界観を世にアピールするサポートをしたい。今はサッカーだ。教育業界で「言葉で伝える」能力はプレーヤーでもマネージャーでも日本で一番になってきた。サッカーのみならず他競技や他ジャンルへのステップし、世の中に発信し続けていきたい。

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